つらいことから逃げた。それで得た自分の生き方。たかやの全プロフィール

はじめまして!

当ブログ運営をしています、カタリストたかや(@tabigrapher)です!

100記事目は誕生日(9/1)に、自分のプロフィール記事にしたくて5月から4カ月間、爆速で書きあげました!

25年間を完全にオープンにしました。今まで内に隠していたことなど様々な思いを込めました。

ぜひ読んでみてください!

より分かりやすい動画も作って頂きました。こちらも合わせてご覧ください!

概要をサクッと見る!

簡単な経歴

  • 名前:昇 誉也(ノボリ タカヤ)
  • 生年月日:1992年9月1日
  • 出身地:愛知県豊橋市
  • 出身大学:広島大学経済学部卒
  • 卒業後:財閥系金融機関に就職
  • いま:週3でSEO対策・コンテンツマーケティング会社勤務、Airbnbでゲストハウス運営、るってぃさん運営メディア「ここから!」「TABI TECH」編集長・ライター育成
  • 趣味:書道と現地に溶け込む旅行
  • 目標:人生のマネタイズ化

 

食わず嫌いから一転、なんでもやりたい!たかやの小学生時代

愛知県の豊橋市に生まれ、準都会でのんびり育つ。

毎年新学期の担任の先生に伝えたいこととして書かれていたことは、血液型がAB型のRH-(2000人に1人で0.05%)なので大きな怪我はさせないでくださいと書かれていた。

手相も、両手ますかけ線(1000人に1人で0.1%)で、織田信長や徳川家康といった天下取りの線を持っているのでむかしから自分は特別とか思ってた。

小学校時代から人生を変える出来事に出会う。

1つ目は書道を始めたこと。

親に無理やり引きづられ泣きながら行くも、終わった瞬間にどハマり。今では人生で1番長いキャリアとなっている。なんで好きかって言われると、ちゃんと説明できない(笑)

2つ目は野球を始めたこと。

当時大好きなアニメが休止になったりするなど野球は大嫌いだった。しかしおじいちゃんが中日ドラゴンズのオーナーと友達だったので、貰った観戦チケットで初の名古屋ドームで野球観戦。

これも嫌々で行ったが、ドーム着いた瞬間にどハマり。ファウルボールをずっと追い掛けていたのを今でも覚えている。

帰宅直後に野球をやりたい!と言い小学4年生から始める。

このときぐらいから気になったことはとりあえずやってみるというスタンスが身に付いた。

朝はおじいちゃんと朝練を毎日し、新聞の朗読をする日々。

おじいちゃんはめちゃくちゃ怖かったが、こどもにでも適当にごまかさず、本気でぶつかってくる人だったので、礼儀正しくちゃんと育った(と思う、、、

野球は小学4年生で補欠から始まったが、6年生の終わりには4番を打つまでに上がった。県大会でベスト4にはなったが、小学校最後の試合で全然打てなくて途中交代になり負けて泣いた試合は今でも忘れられない。

調子に乗りすぎて最後に痛い目に会った、、、たかやの中学時代

野球人生で1番輝いた1年生~2年生夏

中学校に上がると、小学校のクラブチームでやっていた上手い選手が硬式野球へと進み、突然ボクがトップに。

1年生代表のキャプテンとなり唯一上の学年と一緒に試合に出場していた。

1年生秋の新人戦では2番ライトでフル出場。いまプロ野球で流行っている、強打の2番打者は、ボクが元祖といっても過言ではない(えっ?)

13打数6安打、1ホームラン、4打点、3盗塁。今でも覚えている。秋の新人戦優勝。今でもあの時期が1番輝いていたと思う。

上の学年が引退するまで、とにかく打ちまくりピッチャーもした。まさに黄金期。

迷いに迷った2年生夏以降

中学2年の秋からチームの代表キャプテンとなる。この頃から全く自分が思っているようなプレーができなくなる。

原因はプレッシャー。

今までは上の学年がいたことで伸び伸びとプレーをしていた。しかし、自分がチーム全体を引っ張るとなると「このチームが勝つには自分が行動と意志と結果を示さないといけない」と過度のプレッシャーを掛ける。

結果として出した答えが自分のレベルに合わせたスパルタ教育。

メンバーの半数が中学から野球を始めた人だったので、とにかくレベルを上げないといけないと感じ、練習量も質も求めた。

結果として得られたものは夏の最後の大会初戦敗退。

そして部活引退後、メンバーが自分との距離を取り始める。

結果に拘りすぎたのと、自信過剰によるコミュニケーション不足。部活中にまとめられていたのは「架空の権力」のおかげ。「のぼり たかや」ではなく、「野球部主将の、のぼり たかや」と見られていた。

野球部というチームがあったから出来ていた仮初めの繋がり。それは3年生夏にプツリと切れた。中学生活ラスト半年は寂しい時間を過ごした。

とにかく派手に目立たない普通に落ち着こうとした、たかやの高校時代

そんな中学時代だったので、高校はおとなしく過ごそうと思っていた。

中学生のときは野球部主将の他にも、学級代表や実行委員会委員長などしていたが、そういった職からは一切手を引いた。

ただこの時期に何を思ったかピンク色にハマり、携帯をピンクにしたり、ティンバーランドのブーツのピンクを買ったり、胸ポケットに蛍光ペンをズラリと挿したりと、変な意味で目立つようになった。周りに危害を加えていないので良しとしていた。

そして大学では友人に、

という絶妙なあだ名をつけられる原因となったのが高校時代。

高校はほんとうに勉強勉強勉強の日々。

私立学校の進学クラスに通っていて、先生の指導も手厚く仲間もいたので、朝9時から夜8:30までの勉強を苦痛だと思ったことは一切なかった。

文系だったが女の子と高校生らしい青春で甘酸っぱい恋愛とは無縁の高校生でした。(青春な高校生活を送りたーい!!!)

現役で広島大学経済学部に合格。1人暮らしのスタート。

長男という呪縛から解き放たれた広島での生活、大学時代のたかや

大学入学してすぐに手に入れたものは長男という呪縛の解放」であった。

ボクは4兄弟の1番上。常に「長男だからしっかりしなさい。下の子の面倒を見て。下にも続くから我慢しなさい。」と色々責任感を感じながら過ごして来た。

それが中学で色々な役職をしたかった背景にもあったと思う。

しかし、大学に入って親元を離れてからは全て自分の意思決定で、どう過ごすか決まってくる。

自分で責任を負う一方、やりたいことは何でも出来るという環境は1人で広島に来たことで実感することができた。

全国レベルの強豪校、広島大学硬式ソフトボール部に入部

大学入学後にすぐ硬式ソフトボール部に入部する。

広島大学の硬式ソフトボール部は国立の中でも1・2位を争う強豪校で、毎年全国大会にも出場する強豪校。

野球は中学までやっていたが、かなりのブランクがあった。全国大会の舞台で活躍したいと思い、自分の武器を活かすために左打ちに挑戦したり、内野手から外野手にコンバートしたり試行錯誤を繰り返した。

色々やったが結果が伴わず自暴自棄になる。どうせやって上手くいかないと思い、キャプテンに辞めたいと言った。しかし、とりあえず3年生の夏の大会まではいようと思い止まった。ただ、プレーするのを逃げるかのようにスコアラーを始める。

夏の西日本大会は初戦敗退。ここで何故か感極まり続投宣言。

2・3日後に何故あんなことを言ってしまったんだろうと我に帰る。結局就活に集中したいと言い、練習に行かなくなる。

自分が1番好きな書道の活動に専念する

ソフトボール部休部中は、2年生で入部した書道部の活動に専念。やったことは、書道部初の書道パフォーマンスの実施。

書道パフォーマンスとは数名でチームを組み、5m×10mの大きな紙に音楽に合わせて作品を作るというものである。大学初という企画だったので主学年の僕ら主体で計画。

その中で僕がチームのリーダーとして運営することに。

ここで中学時代の思い出がフラッシュバック。

俺じゃない方が良いんじゃないか、、、?

と思ったが、

あの時の失敗を取り返すのは今だ!しかもこれは俺が1番やりたいことじゃないか!

と思い引き受ける。

中学時代の失敗は大きく2つ。

1つは意思決定が1人に集中した。
2つ目にコミュニケーション不足。

ここを徹底的に気を付けて運営した。

ボクは黒子役として、メンバーが最も気持ちよく活動できてそれぞれの能力を活かすための環境づくりを徹底した。

その為にコミュニケーションを積極的にとり、誰もが意見を言える雰囲気と環境を作った。

おかげでチームはまとまり初の書道パフォーマンスは大成功に終わる。

その後もこの活動は取り入れられ、今では年に2回行なっている。

何気ない一言で心動く、10ヶ月ぶりに硬式ソフトボールに復帰

その後適当に就職活動を終わらせ、大学構内を歩いていると、ソフトボール部の後輩と遭遇。

そのときの一言のぼりさんいつ戻ってくるんですか?

という言葉に胸打たれた。

まだ戻れる場所がある。戻っているのを待っている仲間がいる

と知り、次の週から、10ヶ月ぶりにソフトボール部に復帰。

復帰してからは書道パフォーマンスで学んだ、環境を作るということを実践。

3年生の夏のときに逃げで選んだ裏方の仕事を、積極的に引き受ける。ノッカー、バッティングピッチャー、トス、グランド整備等、選手同士でやっていたことをできるだけやった。この仕事が選手に必要とされ色々お願いされる。

はじめてソフトボール部で必要とされていることを実感して嬉しかった。

4年生の夏の大会は全国大会大会に出場し、歴代最高のベスト8となる。

大会終了後の宿泊先の部屋で次の日であったボクの誕生日に、当時付き合っていた彼女と部員全員でサプライズでお祝いしてもらった。

この誕生日は今までで1番嬉しかったし、これからも超えることはないと思う。

就職をせずに、もう少しやりたいことをする!たかやの留年時代

就職直前、もっと良い企業があるんじゃないか?と何故か遅めの中2病を発症し、就職を延期。就活を2回して結局財閥系金融機関に内定。

就職までに今までできなかった、バックパックに挑戦する。

インドネシアをスタートし、シンガポール⇒マレーシア⇒ミャンマー⇒タイ⇒カンボジア⇒ベトナム⇒フィリピンを周遊する計画を立てた。

結果はタイで終了。理由は、

初の1人旅に疲れたことと、タイが楽しすぎて散財したことだった。

しかしここで得られた経験は今の自分を作っている。

そのとき利用したサービスが、couchsurfingとairbnb。現地の人の家に泊まり生活に溶け込む旅行に魅了される。

これが自分は好き!だと思い東京でホストを始める。

関連記事:【完全保存版】カウチサーフィンとは?生活に溶け込む旅のスタイルを実現するマッチングサイト│couchsurfing

東京へ上京、面白くない社会人生活を始める

ボクは元々群れるのが嫌いで、研修時に人事と新入社員全員の前で

自分で稼げるようになる!

と宣言した。

ちょっと変わった人材になりたかったので、普通の人(この会社でうぇーい!俺たち優秀!このまま普通に働いていれば安定だし、年収1000万行けるぜ!)とは絡みたくなかった。

おかげで全然人が寄り付かなく、変わった人だけが周りにいるようになった。(しかし、それも社内レベルでの変わった人

就職したら最後、楽しいこと・好きなことは我慢しないといけないと言われていることに疑問を感じ、仕事をしながらでも好きなことをする方法を模索。

東京でホストを始める。週に1回ゲストを招き、書道をやったり一緒に観光や飲みに行ったりする生活を始める。

どんどんこの活動にのめり込んでいく一方、

  • 無駄な飲み会
  • 上司の愚痴を言う先輩
  • とりあえず仕事をしておけば安定と成長意欲のない同僚・同期

 

この人達と関わるのは無駄だと思い、ゲストや社外の人と過ごす時間を増やしていく。その中で衝撃の人に出会う。

プロ無職を名乗る男との出会い

自分の好きなことを中心とした生活をすると決めていて、漠然とAirbnbを使ったライフスタイルとは考えていた。ただ不安があったなか、インターネットでAirbnbの情報を探している中で、見つけたのがプロ無職。

彼の書いている記事をすべて読み、そっこーで連絡を取って会ってもらった。色々相談した中で彼の

やったら良いと思うよ!昇さんなら上手くいくと思う!

彼に取っては深い意味を込めてはいなかったかもしれないが、悩んでいる人に取って背中を押してもらえる言葉は本当に勇気をもらえる。

それからの行動は早かった。

12/22に物件の内見予約をし12/23に仮契約。年明けすぐに本契約をし2月中旬にゲストハウス開始。2月末に会社を退職。

2年掛けて就職した会社を僅か11ヶ月で辞める。

意外にも同僚や同期は好きなことあるなら若いうちに挑戦しろ!と言ってくれたが唯一反対したのは両親。

2年も掛けて良い会社就職したのに辞めるなんて、まだ下に3人も兄弟がいるのに長男が好きなことするなんて、と散々言われたが、大学入学時に長男のしがらみは捨てたので、自分の人生を歩くと決めた。

最終的には親も応援してくれているので、これからきっちり恩返しをしていく。

関連記事:仕事を辞めたい、、、と思いながら続けている人が失っている4つの資産。

好きなことを仕事にしている、現在のたかや

現在は

  • 台湾人の彼女とAirbnbを使ったゲストハウスの運営
  • 補助ホストとしてこれかれAirbnbを始めるホストのサポートとコンサル
  • 彼女とワーキングホリデーで来ている台湾人向けの日本語教室
  • 出張書道教室
  • 週3日働いているSEO対策会社で得た知識とツールを使ったブログ解析の相談
  • るってぃさんの運営メディア「ここから!」「TABI TECH」のメディアの編集長とライター育成
  • 中国からのスマフォ部品の輸入業
  • 筆跡心理学×姓名判断

 

の仕事をしている。

仕事時間はサラリーマン時代より格段に減ったが、収入は倍に上がった。

始めた当初は不安だったが、何とかなるもんやと自信へとつながっている。

 

そしてモットーは

とにかく気になることはなんでもやってみる!その中から本当に自分がやりたいことだけをピックアップする!

それは小学校4年生から変わらない。

今後の目標はカタリストとして、人生を変えたい人の一歩目を作る!

現在肩書としてカタリストを名乗っている。

カタリストに込めた意味は

  1. PCをカタカタして
  2. 自分の得意なこと・好きなこと・人生について語ります
  3. それを通してCatalyst(触媒)として、誰かの人生の変化の起点となる

 

ボクの人生の中で影響を与えた人は4人。

ボクは祖父の背中を見て目標として生きていく

1人目は祖父。

財閥系化学メーカーの子会社社長をしていた。しかしサラリーマン社長ではない。

会社外で港の建設を取り仕切ったり、実業団バレーの監督をして全国優勝したりするなど凄くアクティブに活動していた。

祖父のお葬式で500人を超える参列者を見たときに、どれだけ凄い人だったのかを改めて知った。

やりたいことはする。そして結果も信頼も得る。そんな後ろ姿をボクは追っている。

自分の一生涯の仕事を作ってくれた、書道の楽しさを教えてくれた先生

2人目は書道の先生。

ボクが今書道で仕事ができているのも、書道を楽しいものとして教えてくれた先生のおかげ。

水墨画や工作など様々な方面から書道ができたおかげで、自由な発想で書道に取り組めた。

いまではその経験を活かして、外国人観光客に書道を体験してもらっている。

自分の可能性を信じて突き進み有言実行してみせた、中国人の彼女

3人目は大学時代に付き合っていたのは、中国人の彼女。

彼女は中学2年生のときに、親の再婚で日本にやって来た。

当時まったく日本語ができない状態で来たが、毎日夜2時まで勉強し普通受験で公立高校に合格。

高校時代は、あまり上手ではない日本語が原因でいじめにもあったが、ダンス部の練習に一生懸命取り組み全国大会出場。広島大学も現役合格。

一緒に就活もしていたが、途中で止めた。理由を聞くと

こんな優秀な私が企業に勤めるなんておかしい。自分でやる!

と言い放った。

当時ボクは「何言ってんだこいつ」と思った。しかし、行動量が半端なかった。

最初は苦労していたが、あれよあれよと自分のビジネスを大きくし、現在は月商1000万円で手取りも150万円近い。

3年で自分の思っている3倍のスピードで進んだ。あのとき挑戦した自分を誇りたい

そんな言葉がほんとうにかっこよかった。今でも良い刺激を貰っている。

自分の好きなことを中心としたライフスタイルを実現する、プロ無職

そして最後がプロ無職。

彼の言葉がボクの背中を押し、今好きなことを中心とした生活と仕事ができている。

今は彼の運営メディア編集長やコミュニティの運営のサポートとお仕事も一緒にさせてもらっている。

彼の言葉で

人生のコンテンツ化

という言葉がボクは大好きだ。

彼の行動や思考はひとつひとつ重要なこと。自分のものとするように色々盗んでいく。

自分もその立場に行く

彼らはボクの人生において常に語られる人。今後は自分がそういう人になっていく。

「のぼりさんのあの時の言葉が僕を動かしました。」
「たかやさんのこの考えと行動に共感して、私も挑戦しました。」

といったように、誰かの第一歩目の道を作る、導く人になる。

自分の人生は自分の筆で自由に・好きに描く

そして自分の好きなことで仕事をしたい仲間をたくさん作って、常に新しくて面白いことに挑戦していきたい。

世界を変えることは出来ないが、自分の周りで、好きなことを中心としたライフスタイルを目指したいと思っている人と一緒に人生を好き勝手にデザインしてい

いま付き合っている台湾人の彼女も、日本に来てわずか2年で日本語を覚えた。

しかし、日本での楽しい生活を夢見たが自分の好きな仕事ができずに悩んでいた。

ボクの運営しているゲストハウスの一室を台湾からのワーキングホリデー用に貸しだし、彼女ができる日本語を教える場所を用意した。

今後はブログも始めるということで自分の周りから、好きなことを中心としたライフスタイルを実現していく!

そして、

人生やりたいことだけでも生きていけるんやで!

ということを周りに伝えていき、そうなりたい人を支援していきたい。

カタリストたかや(@tabigrapher)

 




 

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